焼け跡とみずたまり

牧場王やら色々

改めてジャングル大帝(1989年版)と向き合おう

散文形式で読みにくいです。

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・原作は全集版と文庫の幼年版のみ既読。漫画少年版他は読めてません

 

・10数年ぶりに観ました。スイミング帰りにMXで観ていた記憶が…しょっちゅうチャンネル変え忘れてて、いつの間にか最終回だった

 

・レオのキャラデザはIP全体でもトップクラスだと思う。その次が京都シアター。作画もきれいだしね。3番目が全集2巻

 

・09年のTVスペシャルは設定もキャラデザもなんか嫌…録画したまま観なかった気がする。開始数分で挫折したような

 

・「人語がわかる」と言った要素がオミットされているのは知っていたけど、思ってた以上にレオが独善的だなーって感じます。優等生じゃない、失敗と挫折を繰り返し成長するキャラを目指してるのは各種メディアで書かれているけど、その分視聴にストレスがかかるわね

 

・野生動物と家畜と人、それぞれが世界と価値観を持っていて、その均衡を破ることが正義なのか?自身の価値観だけで他者の価値観を否定してもいいのか?自由の価値とは?そういうテーマが前面に押し出されており、とても現代的ではないでしょうか

 

・パンジャの森=理想郷の維持にはそれなりのコストが必要というか、パンジャ=絶対的な力を持つリーダーが居ない以上、秩序は皆が守っていかねば行かないというか。草食動物はともかく、肉食動物は他者を食らわずに生きることはできませんし、原作のように物々交換も人造肉もない以上森の外で狩りをせねばなりません。崩れた食物連鎖体系は誰が是正しているんですかね?

 

・豊かでないと全員の理想はかなえられない、豊かになるには対価が必要。これは人間社会もジャングルも同様で、レオのように理想だけでは生きていけないですから、最大多数の幸福のために贄となる家畜が不可欠で、レオにそれを断罪する権利があるのかってコトすね

 

・当時からマロディー達にいい印象が無かったんだけど(オリキャラなので)、未熟なレオに現実と闘争の必要性を教えるキャラだったんですね。にしたっていけ好かない

以上12話までの感想でしたが、この先もそんなに変わらなさそう。

 

・幼年版は別として、ほとんどのバージョンでレオは父を人伝に聞いたことしかない訳で、だからずっと父の幻影を追っているんですよね。父親が何者であったかを知ることで自分のアイデンティティを確立していくんだと思います。で、1989年版は青年期だけで話を作っているから、完璧な父と未熟なレオの対比が激しく、主人公の不能感が際立って正直辛いです。努力が空回りしてる様ってあまり気持ちのいいものじゃないよね

 

・14話で「ブブにとって恐ろしい力とはレオの事」って話がでたけど、曖昧な情報のせいで焦燥に駆られて、森に混乱をもたらしているという点では間違っていないかもしれない。予言の自己成就てのもそうですけど、向き合うべきは自分自身という所にも繋がってるのかも知れませんね

 

・↑ 16話でまんまおんなじこと言ってて草

 

・原作(全集版)では「自分は生きる神の立場を欲さないが、リョーナの生き方は否定しない」というスタンスだったのに、本作だと自由であることに結構固執していて、逆にあまりヒロイックじゃない気がする

 

・16話の人間も「食うためにはこれくらいやんねーとな」みたいなセリフがあって、そういう所はちゃっかりやってるよね。悪人ではあるんだけど(密漁者なので…)、誰しも生活があって、それを守るために手を汚さざるを得ない時もあると

 

・19話でオレが僕に戻ってる。イキるのはここで終わって、自分に求められてたものを確認できた証?

 

・ケンイチのキャラデザはやっぱり原作が一番だな… 手塚先生のスターシステムが神がかっていると言える いや神なんだけど

 

・母と母から聞いた父の話は覚えてるのに、育てたケンイチの記憶がおぼろげなの、恣意的~~って感じちゃうナ いや、野生動物の記憶力に期待しちゃいけないんだろうけど

 

・突然ファンタジーぶっこんできてビックリですわ ???

 

・原作だとケン一とヒゲオヤジとの縁故が話の一つの軸になってるし、人語を覚えるきっかけにもなってるんだけど、アニメだと全カットになるのがサビシイ いやまぁ2009年版はケンイチ出てくるけど…

 

・涙で人の心は動かせるというべきか、安易な泣き落としと見るか…これは視聴者の心の広さに帰結してくるのかもしれませんネ

 

・ブブ本性表すのはやくな~~い?

 

・クッターにしろリョーナにしろ、原作キャラをできる限り出していこうという姿勢は嫌いじゃない。特に原作(全集版)クッターは出オチみたいなものだし、パグーラも立ち位置の割にルネ編で急に出て来たキャラだし

 

・急に弁護士出てきてワロタ 前の回で言ってたけど観光のために男を隠したりとか、リョーナもいつか別の観光資源に代替されるとか、欧米人のために商業的につくられた神秘主義ってのは結構好きっスね 密漁組織(?)が悪玉であるのは違いないんだけど、村も存亡のために手段を択ばないのだなぁ

 

・弁護士の村の半分切り捨て、無慈悲~~~と思ったけど、戦って残った半分が村を維持するのと戦わずに半分を生贄にして新しい村を作るのもおんなじなんだろうな

 

・動物は人間の考えることはわからないし、人間は動物側の事情を知ることはできない。そういう相互不理解を乗り越えるのが原作のテーマであったんだけど、89年版はその対立にばっか着目するからギスギスしてるよね。あまりハートフルな気持ちになれないし、フィクションでぐらいそれを乗り越える感動みたいなのがあってほしいな~~と思うところ 私がマキバオー好きなのもこういう所にあるのかもな

 

・サファリパークの人間も「密漁者から動物を保護する」という点ではレオの味方だけれど、人間もレオもお互いの意思を汲み取れないし、どこまで行っても人間は排除されるべき存在というのがサビシイねえ 原作だと人とコミュニケーションが取れるし、敵は密猟者じゃなくて地元住民(配慮した表現)だし、文明に対する一定の理解を示してくれるし、人の良い所も悪い所も知る役割としてルネもいるけども

 

・31話は上記に加えて、集団になると意思統一が出来なくなるというめんどくささも要素に含まれてて、かなり込み入ってる。で、続く32話は更に報酬の代わりに指示を出す撮影クルーが出てきて、善悪のボーダーがどんどん複雑になってる。前者は自然に干渉することを悪とした一方で傷ついたトニーの治療もしたのに対し、後者は(命令によって起きた事故とはいえ)動物の生死を自然に委ねたことで動物から見放されているんですよ。結局人は動物を助けるべきなのか、関わらない方がいいのか、どっちなんでしょ?

 

・レオとトニー(トミー)・ココの関係性は原作よりも好きかな。特にココは漫才コンビのヌケ役から頼れる相棒のようになってていい。トニーは原作よりもトラブルメーカーになってるのでそこはどうなんだろう

 

・37話で原作同様パンジャの毛皮を奪還するけど、人への怨みを発露したりしないのはやや意外。あと毛皮が駆けたり飛んだりするはずがないので、ちょっとトリップ感がある。別にどうでもいいけど

 

・人同士の争い、人の持つ心、人と動物の共存…42話は特に今までの総決算の要素が強いよね

 

・順番は前後するけど、肉や毛皮などの為の狩りではなく障害の排除の為の殺戮の方が残虐であり、対話の糸口がないってのがリアルねえ

 

・動物には動物の、原住民には原住民の生き方があるように、組織は鉱石が必要で、傭兵は組織の命令を守るしか生きるほかなくて、互いにどこかに妥協点を見つけなければ共存は出来ないのだなぁ

 

・王にも緊急事態であっても休める時間がなければいけないってのも、王として果たす責務があるから神経質になるのも、わかる~~~って感じ。わかりすぎて見飽きた感あるのはナイショ

 

・インディアンって表現にも色々思う所はあるけど、それはともかく。インディアンだからシャーマニズム的な感能力があるってのは良くも悪くも偏見なような…?日本人皆ニンジャみたいな、発言主は肯定の意のつもりだけど受け手次第では差別になる奴なんでないか どーでもいいですけど(48話)

 

・↑普通に有能で草 リーダーの指示の意図を汲むし間違いがあれば訂正するし…

 

・最終2話…本音のために建前が守り切れない組織のボスとか、結局は口だけの環境活動家とか、任務遂行より私怨が優先しちゃうルテナンとか。人間のクソ度の強調が露骨ですね。トンガ族は自分達の安住の地のために戦ってるからレオ達と同じ立場ですけど

 

・貴金属よりマンモスのが貴重な商材なんじゃないのか…?絶滅動物やぞ

 

・自身のポリシーを重視してるハムエッグはまだしも、ボスが攻撃をやめるのはなんか納得いかんなァ…(少なくともボス視点では)動物は敵じゃなくて障害だし、何のために殺すのかは地下資源を得るためなんだから、レオの無意味な殺生を止めてくれという祈りは届かないと思うんだけど… ボスの反神秘主義をパンジャの森が打ち破ったということなのかしら

 

・でも、個人的にレオの叫びが人間にも通じたって展開も正直どうなんだという気持ち。理由は後述します

 

・つべのコメ欄でレオをかばって下っ端がやられてく所に文句をつけてた人がいたんだけど、そこはあんまり気にならず。レオの優しさがブブみたいな悪党をも動かしたってのは最終話でやらないでいつやるんだって話だし

 

~総評~

未熟だったレオが王として相応しく成長していく過程自体は良かったです。時代柄か掲載紙の問題か駆け足気味だった原作に対し、レオの不能感と周囲の支えによってそれを克服していく様を描いていくことで、奥行きのあるキャラになったように思います。

反面、人間、特に白人・文明人を悪として描き過ぎだと感じました。別に人を悪し様に扱うこと自体は構いませんし、新時代の白人と黒人/原住民の付き合い方(弁護士がその最たる例です)に切り込む所は面白かったのですが、原作の「ジャングルの平和のために人間の技術・知恵・思想に一定の理解を示す」という姿勢に比べて安易なものなのではないでしょうか。動物や自然を守ろうとする人間も登場しますが、レオが彼らに求めるのは不干渉であって保護ではない訳です。いずれにせよ、「人と動物が手を取り合う姿」という原作の1つの魅力*1を損ねたのだと考えます。

人と動物がわかりあえないのは、原作と違って*2レオ達は人と意思疎通がとれないからですが、最終回で遂にレオの叫びが人々に届きます。しかし、枯葉剤をまくような心無い傭兵たちに「敵もいないのになぜ戦うのか」という問いで武装を解かすほどの説得力があるのでしょうか。パンジャの森やドンガ族の生活基盤は(多大な犠牲を払いつつも)一応は守られた訳ですが、組織にはなんのリターンもありません。それを無視して「新たな調和を築けた」と言われても「すぐに破られませんかね…?」と感じるのみです。

 

とまぁ、疑問は多々あるものの、原作を読むきっかけとしても小学生時代の思い出としても大切な作品です。そして、放送から30年以上経った今でも考えさせられるいいアニメといっていいのではないでしょうか。

 

そして、改めて原作の『ジャングル大帝』って偉大なマンガなんだなと痛感しました。

~終~

映画版感想

zatsuka-etsu.hatenablog.com

*1:ただし、原作も自然と文明が融合することを肯定しているかは微妙です

*2:原作で人語を獲得する流れ、人間に対抗しうる力を得るためでもありますが、孤独な親友のためというのが本当に好きなんですヨ…