※作品外のことについては別の記事で書く予定です
※ネタバレは極力避けます。が、Twitterでこの記事に辿り着いたあなたは既にネタバレを踏んでいるかもしれません
※『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』に関する軽いネタバレがあります
ちゃんと観に行った証拠です。
結論から入りましょう。
私はそれなりに楽しめました…が、映画として面白いかというとそうでもないな、と思います。詳しい理由は後述しますが、大きく言えば「あまりにも劇的でなさすぎる」という所に帰結するのではないでしょうか。
まず、本作は原作漫画から“あく抜き”されているな、というのが第一印象です。ファミリー層を狙うためか、単に本筋に絡まない話をカットしただけなのかはわかりませんが、不快になる表現は極力減らしていたように見えました。
「100日後に死ぬワニ」
— きくちゆうき (@yuukikikuchi) January 19, 2020
39日目 pic.twitter.com/tKNuhoxAn0
ここ正直何にキレているのかわからないこういった棘のある要素を省いたことで、少なくともワニが死ぬまでの前半は心穏やかに鑑賞できました。ただ、後述するカエル以外の登場人物のキャラが弱いというか、カットされた不愉快な描写も含め「人をキャラクタライズする要素」が排除されているように感じたため、特別な個人としてワニ達を見つめることができませんでした。勿論、滑ったギャグをもう一回試してみるネズミとか、リアルな人間像が見えるシーンも多かったのですが、良くも悪くも「ワニはこういうキャラクターだ!」といったものが見えてこなかったなぁと思います。
ただし、原作が「何気ない日常とその終わり」というテーマを掲げているのものなので、ワニの人格の普遍性は意図されたものなのでしょう。日常の中に劇的なイベントなんて早々ないし、自分はこの世界の主人公だと言える人はそう多くないでしょう。単に作風が私と合わなかっただけかもしれません。でも、“映画”という媒体で“劇的”なことが起きないと、かなり退屈に感じるものなのではないでしょうか。
退屈さに拍車をかけていたのが作画、というか絵のタッチです。私は作画がマンガ・アニメの価値だとは思っていませんが、実写と違って描いたものしか映らないというアニメの性質上、描き込みが少ない画風だとスクリーンの情報量も少なくなる訳じゃないですか。それをギャップとして活かすとかならいいと思うんですが(かわいい作風で重いストーリーとか、イケメンがキメ顔で尻から蜂蜜出してたらシュールで面白いとか)、他愛ない話と見どころの少ない画面となると、正直厳しいものがあります。
個人的に一番志の無さを実感したのが、ワニの父のシーン。本筋と一切関係はないんですが、ネタバレ対策で以下反転します。彼がみかんを食べるだけの場面なんですが、〈完全に静止→おもむろに手をみかんに手を伸ばし口に入れる→静止〉って感じの動きで、「咀嚼するとかないの!!?!?」と唖然としました。いや、まったく重要な場面じゃないから作画コストをカットしたかったんだろうけど、こんなに動かないものなの!?あと、エンドロール前の最後のカットが雨上がりの花のつぼみだったんですが、割と余韻を持たせているのに露が落ちることもなく終わるので、肩透かしを食らいました。てな具合に、全編を通して細かな描写がほとんどなく、画面から目を離せないと思うシーンがあまりなかった印象です。予告編の時点で訴求力の弱さがひしひしと伝わってきましたが、それが覆ることはありませんでした。寄りのカットだと特に顕著で、顔と手が同時に動かないシーンもちらほらあり、なんだかなぁと。街の景色を映すところも、アパートじゃなくて遠景の方がよさそうだなとか、そういう雑念が湧いてきました。無論、私みたいに創作もしなければ映画フリークでもない人間の指摘は間違っている可能性が高いですが…
作風に合わせリアルな動き・小ネタを意図的に排除したのかもしれませんが、
今日はスタジオに籠ってひたすらワニくん達と向き合います。そう、まだ絶賛制作中なのです。公開まで後51日!!#100日間生きたワニ
— 上田慎一郎 Shinichiro Ueda (@shin0407) April 7, 2021
延期前の公開日まで2か月弱の時点で未完成だったあたり、細かい描写を入れられるような状態ではなかった可能性もあります。が、パンフ等各種インタビューでも原作連載初期の段階で映画プロジェクトが開始していたと述べており、納期に全く余裕がなかったとは考えにくいですが、門外漢が詮索する必要は全く無いので次に移りましょう。
原作にはいなかったキャラクター・カエル周りの話は、本作の見どころだと思います。既に多くのレビュー・感想で指摘されているように、ネズミ達とノリが合わず滑り倒してる時間が結構長くて辛いものがありますが、そのウザさや孤立感によってこの映画の中で一番キャラを確立できていたように思えます。ただ、そんなカエルがどんな風にネズミ達と打ち解けていくのかという部分は賛否が分かれているようで、少なくとも私は「これでいいの…?」と感じました。以下反転です。ワニが亡くなり心に穴が開いたようになったネズミ達ですが、自分たちとの共通項・ワニとの共通項をカエルに見出したことでカエルへの態度を和らげていく訳です。で、個人的には「ワニの居たポジションにカエルを据えて解結」みたいな感じがして、少しモヤっとしました。恐らく、(私の目には)ワニがかけがえのない存在とは思えなかったというのが原因でしょう。代替不能な個人としてワニやカエルを認識できないと、死んだモブの代役に知らんモブが追加されただけに見えます。もしかしたら、原作を当時リアルタイムで読んでいてワニに死んでほしくないと思った人と、さしてワニに思い入れが無かったりワニがどう死ぬかに注目していたり、そもそも原作を知らなかったりした人で感想が変わるところなのかもしれません。
そして、原作書籍化の時点でも指摘されていたことになりますが、本作では「100日」というタイムリミットの存在がかなり希薄になっています。エピソードの削除や統合など、映像媒体にするにあたって1日ごとに起きたことという枠組みが排除されています。そのため、原作がバズった要因だと目される「平和な日常風景と、カウントダウンによる不穏さのギャップ」がなくなっており、先述したように日常パートに引き込まれる要素が全然ないという事態に陥っています。
「100日後に死ぬワニ」
— きくちゆうき (@yuukikikuchi) December 13, 2019
2日目 pic.twitter.com/LFJ3vKGvPc
本作のサスペンス感の欠如を代表するものとして、雲ぶとんに関する一連のエピソードが全カットされている点が挙げられます。雲ぶとん関連の話は運命を知らず喜ぶワニへの哀れみであったり、青年らしい下ネタを言い合えるモグラとの友情であったりが描かれていた訳ですから、原作の魅力を構成する要素だったと思うのですが…
ともかく、映像化したことで「100日」の意味合いが大きく薄れているのが残念に思いました。特に死後100日は別に100って数字にこだわることはないですし。…今思いついたんですけど、『100日間生きたワニ』ってタイトル、カエルの登場までの100日間はネズミ達の心にワニが息づいていたって意味なんですかね?違うか
あと、この映画に限った話ではありませんが、動物モノなのに動物的特性が活かされていないように思えました。6時のマネはワニならではの芸当だと思いますが、それ以外は動物である必要がないというか、動物のアバターを着た人間ぐらいの存在でしかないように見えます。てか、5日目時点で「人」って言ってますし、きくち先生は過去のインタビューで「動物を嫌いな人はいないだろうと思って決めました(笑)。猫は苦手でも、犬は好きなど何かしらはひっかかりますからね。だから特に無類の動物好きというわけではないんですよ」と仰っているので、「ただの若者描いてもウケないしかわいくもないから動物にしようかァ~」くらいのものなのかもしれません。
で、これの何が問題かというと、世界観にノイズが多いように見えるところです。食肉等を無視しても、ヒヨコ・ニワトリとそれ以外の動物の違いがどこにあるのかとか、なぜ靴を履いてたり履いてなかったりするのかとか、そういう所が引っかかりました。ここまで来ると揚げ足取りのようですが、本筋が単調だとこういうところにも目が付きやすいといいますか、丁寧じゃないなと感じてしまいました。
追記:劇中映画のシーンを忘れてました。あれも…こう…世界のいびつさを感じる…
まとめると、ストーリーもキャラも平凡でありふれているという原作から「100日後に死ぬ」というフックをなくした結果、全部がうすーく感じました。赤の他人の日常や恋愛模様を観てるだけでは感動できないってことです。キャラや世界への没入感が得られなかったため、いきものがかりのエンディングも頭に入ってこず、脳内で大場ななが「そんな言葉じゃ響かない!!」って叫んでました。私の好みの問題ではありますが、「このキャラならこういう事を言うだろう」みたいな思い入れがあれば胸に染みたのかなぁと思います。
ただ、私は虚無い作品も嫌いではないので、ネトフリあたりで配信してくれたら作業用BGMとして重宝するかもしれません。『異世界チート魔術師』の後釜になるかも…